動いてみよう。少しずつで構わないから

マインド

この年齢になりつくずく感じるのは、動く人動かない人に分けられるなと言うことです。

動ける人と動けない人ではありません。動く、動かないの違いです。

そもそも、動ける動けないは「可能か不可能か」という意味合いになるため、適切ではないなと思い、このような表現にしました。

要は動かない人は「それを行うにあたって障害もないのに取り組まない人」のことなので、動けない人ではないんですね。

動く人、動かない人の違い

もちろん、育った環境や受けた教育によっても変わってくるかと思いますが、僕は不自由さへの対処方法の違いだと思っています。

不自由さへの嫌悪

僕らは生まれたときから不自由です。

立って歩くことも、言葉を発することもできませんからね。空腹を表現するときも、泣くしかありません。

ようやく立って歩き、言葉を話せるようになっても不自由です。

ほしいものが手に入らなかったり、嫌いな人間と顔を合わせないといけなかったり。

僕らはデフォルトで不自由なんです。

でもそれを解消するために動くんです。

ほしいものを買うためにお金を稼ぎ、嫌いな人と顔を合わせないで済む方法を考え、不自由を取り除きます。

これらは不自由であることへの対抗心からくる行動です。

不自由であることを受け入れている人は動きません。

ほしいものがあっても指を咥えて見ているだけ、嫌いな人と顔を合わせるたびに嫌な思いが表に出て更に嫌な思いをする。親しい人間に愚痴をこぼし、発散するが気休めにしかならない…

これらは「動かなかったから」起こった結果です。

どちらの方が豊かな人生を歩めるか、一目瞭然ですね。

動かない人の愚痴は「赤ん坊の泣き声」

動かない人はよく愚痴をこぼします。

自分が動かないことで起こった結果を、あたかも降りかかった不幸のように話します。

これは、自分がどれだけ苦しい立場にあるかを訴えるパフォーマンスに過ぎません。赤ん坊が泣くのと同じように、こうしていれば誰か助けてくれる、奇跡がおきてくれると考えているのです。

…当然、僕らは赤ん坊ではないので、誰も助けてくれません。

動かない人は不自由さを、愚痴をこぼすという方法で解消します。とはいっても、この方法は一時しのぎなので、根本的な解決には至りません。

そもそも愚痴というのは、「言ってもしかたがない事を、言っては嘆くこと」という意味です。

そういった意味では無意味な行動を繰り返しているに過ぎないのです。

泣くことで助けを求められる、赤ん坊のほうがまだ意味のある行動を取っていますね。

動く人は人生を創れる

動く人の行動は早いです。

例えその行動が必ずいい方向へ向かうという確証がなくとも、早いのです。

これは、失敗してもそれを活かして成功させればいいか!というように、失敗を「過程」として捉えているからなんです。

そもそも、失敗はあるものだと考えているから行動が早いんですね。

そして、動く人は動かない人と比べて驚異的な速度で成長します。

動かない人がまごついている間に、動く人は挑戦と失敗を繰り返し、着実に歩みを進めているのです。

たまに人の挑戦を笑う輩がいますが、あれらは動かない人です。動かない人からすれば、動く人の挑戦は「なんか周りと違う」という浅い部分しか映らず、嘲笑の対象になるのです。

動く人はそんなものを意に介さず、歩みを進めます。

不自由さを、動くことで解消しているんです。これが唯一無二の方法だというのを知っているから、迷いがないのです。

迷ったり悩んだりすることがあるとすれば、挑戦の途中でぶち当たる壁の超え方くらいです。

動く人はよく悩みますが、それは「やるか、やらないか」の悩みではなく「この壁をどう超えるか」の悩みなんですね。

動いてみよう。少しずつで構わないから

この記事を読んでいる動く人、大丈夫です。

あなたの人生は間違っていません。たまにあなたのことを笑う者に出くわすでしょうが、無視してください。最後に勝つのはあなたです。

この記事を読んでいる動かない人、大丈夫です。

今日この記事を読んで、あなたは動く人の不自由さへの対処方法を知りました。あなたがその気なら、動く人になれます。あなたの中でなにかくすぶっている感情、燃やし損ねた情熱はありませんか?

とにかく動いてみましょう。

不自由さを解消するにはそれしかありません。

動いてみましょう。少しずつで構わないから、行動に移しましょう。

最後に勝つのは動き続けた人です。不自由だった人生に別れを告げるのは今日ですよ。

↓↓↓この記事が皆様のお役に立てたなら、クリックしていただけると幸いです。

コメント